日本の政策担当者は自国の競争力が減じられることを受け入れたが、それは彼らが温厚だったからではなく、逆に自信に満ちていたからである。つまり、日本経済はどのような不況も難なく乗り越えられると彼らは信じていた。実際その判断は正しく、1986年の後退局面は長く続かず、大きな影響もなかった。
貿易相手国が日本のもっとも成功した企業に割当額を次々に設定してくれる状況にあって、強い日本円は使える武器になると考えたのである。この考えもやはり正しいと言える。日本円が強ければ、日本の自動車メーカーは欧米の重要な市場において、生産力を徐々に高めていくことができるのだから。
また、日本経済は輸出主体から消費主体へと転換するべき時期を迎えており、日本円の上昇は日本国内の家庭の購買力を増すことになるとも彼らは考えていた。しかし、この考えは外れていた。
1980年代末に見られた過剰消費は今となっては遠い昔の思い出である。当時、日本のサラリーマンはラーメンのどんぶりに金箔をちりばめたりしたし、部長クラスはアメリカの高官が利用するようなハワイの超高級リゾートで休暇を過ごしていた。そして、バブルに対する史上最悪の政策が事態をややこしくした。軽度な後退が始まっていた肝心の30カ月のうちに、日本政府は異常な規模の貸し付けや不動産価格と株価の高騰をとがめることをしなかった。
彼らは何の理由があってそのようにしたのだろう?きっと、どのバブル経済のさなかにも聞かれる、「今回は違う」という致命的な一言がそうさせたのだろう。「日本の工業の実力は誰にも止められない。日本は世界最大の経済体になるに違いない」という各国の有識者や学者、コメンテーターの言葉をまともに信じたのである。
従って、ある意味では日本は確かに金融自殺をしたと言える。それは、日本円が桁違いの幅で上昇するのを許したからではなく、資産価格の異常な高騰を野放しにしたからである。1989年末の時点で東京株式市場の市場価値は全世界の半分以上を占め、皇居の土地査定価格はアメリカのカリフォルニア州全体を超えていた。(つづく 編集担当:米原裕子)
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引用元:エルソード rmt
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